ためになる!?ぶつだんやさんコラム
2020年6月20日
織田信長とお寺の不思議なかかわり
- 株式会社 ほこだて仏光堂
- 石巻店 阿部
6/21は織田信長の命日です。
戦国武将の中でも知名度は特に高く、その破天荒な性格からも逸話には事欠きません。
そんな信長ですが、彼の生涯にはお寺が深く関わっています。
1つ目は「敵は本能寺にあり」で有名な【本能寺】
明智光秀に信長が討たれた地とされています。
光秀討伐後、織田信長の三男信孝の手により本能寺に信長の御廟が建立されています。
2つ目は【阿弥陀寺】
これは信長と親交のあった阿弥陀寺の清玉上人が本能寺の変に駆け付けるも既に信長は亡くなっており、
その場で荼毘に伏し、遺灰を僧衣に隠しながら阿弥陀寺に持ち帰ったとされています。
そのような経緯があった為、光秀がいくら本能寺で信長の遺体を探してもでてこず、
「本当は信長は生きているのではないか?」と
いう噂が広がり、光秀に協力する武将は相当に少なかったとされています。
3つ目は【大徳寺総見院】
信長の後継者は自分だという事を世間に知らしめるため、
阿弥陀寺にて法要を行いたかった秀吉ですが、清玉上人は信長に恩義があり、
「もう葬儀は済んでいます」と秀吉の申し出を再三断った為、
信長の一周忌に間に合わせるように豊臣秀吉が建てたお寺が大徳寺総見院です。
4つ目は【比叡山延暦寺】
延暦寺といえば天台宗の伝教導師最澄が開いたお寺としても有名ですが
実は浄土宗の開祖法然、浄土真宗の開祖親鸞、臨済宗の開祖栄西、
曹洞宗の開祖道元、日蓮宗の開祖日蓮、時宗の開祖一遍なども
このお寺で修業したとされています。
そんな延暦寺ですが、当時は広大な土地、経済力、僧兵等の武力を保持していた一大名並の巨大勢力でした。
そして反信長派の浅井長政、朝倉義景の連合軍の味方をしていた為、信長に焼き討ちされてしまいました。
5つ目は【根来寺】ねごろじ
根来衆と呼ばれる僧兵集団が当時最先端の武器である種子島銃を使った鉄砲隊を組織し
信長とともに石山合戦にて戦ったとされています。
余談ですが石山合戦の相手方は石山本願寺の顕如とその援助要請を受けた
雑賀鉄砲隊の雑賀孫市だったりします。
NHKの大河ドラマも桶狭間の戦いの辺りで休止しておりますので
今後これらのお寺も出てくると思います。
チェックしておくとより楽しめるかもしれませんね。