ためになる!?ぶつだんやさんコラム
2020年5月5日
あれも?これも?仏教語?「我慢(がまん)の巻」
- お仏壇と墓石の太田屋
- 太田博久(代表取締役)
今は我慢のとき。
初夏を思わせるゴールデンウィークを迎えたにもかかわらず、新型コロナウイルス感染防止のための緊急事態宣言の下で、大人も子ども皆、外出を控えて我慢の日々を過ごしています。
法律で罰せられるわけでもない自粛要請ですが、一部の人たちを除けば、多くの国民が辛抱し、耐え忍ぶ努力を続けています。その姿は、これまでも大きな災害が起きるたびに海外メディアで「GAMAN」と賞讃された、私たち日本人が身につけた美徳なのかもしれません。
ところが、この「我慢」は、実は「自分本位で他をあなどり、思いあがる心」を表す仏教語なのだそうです。
そういわれると、「慢心」とか「自慢」いう言葉を思い出します。そもそも「慢」は「他人と比べて自分を誇り、過剰に評価し、おごり高ぶる心」という誰もが持つ煩悩のひとつを表しています。この心の状態を仏教では七つに分類し「七慢(しちまん)」と言うのだそうです。
慢(まん)…自分より劣っている人に対し自分が勝っていると威張る
過慢(かまん)…自分と同等の人に対し自分が優れているとうぬぼれる
慢過慢(まんかまん)…勝っている人を見て自分は更に勝っていると増長する
我慢(がまん)…自負心が強く素直に間違いを認めず自分本位
増上慢(ぞうじょうまん)…悟っていないのに悟ったと思いおごり高ぶる
卑慢(ひまん)…非常に優れている人に対し自分は少し劣っていると思う
邪慢(じゃまん)…本来は恥ずべきことを正しいと自慢しうぬぼれる
おおよそ、このような内容で、「我慢」はこの中のひとつとされます。
感染防止のために多くの人たちが我慢し頑張っていることは確かですが、その反面で「自粛警察」「過剰な相互監視」といった行き過ぎた行為も報道されています。「他県ナンバー狩り」と称される車を傷つける行為まで発生しているようです。
感染リスクが拡大する状況の中で他者に対しても自粛を求めることは、一面では「正義」なのかもしれません。でも、これら行き過ぎた行為の背景に、気づかぬうちに「自分が我慢しているのに、あいつは何だ!」とか「自分だけが我慢するなんて不公平だ!」といった「我」が潜んでいるとしたら…。
今ではよい意味合いで使われることの多い「我慢」ですが、実はその「我慢」が他者を責め、自尊心を満たす行き過ぎた行為を引き起こす心理につながっていると喝破するなんて、「やっぱり仏教って深いなあ~」と思わせる言葉ですね。