ためになる!?ぶつだんやさんコラム
2020年4月11日
原発最前線の葬儀社
- 株式会社 ほこだて仏光堂
- 相馬店 早川登
原発事故以降、福島に住んでいると、他県の方からは 「福島にいて大丈夫なの?」 「福島は危険じゃないの?」 「なんで逃げないの?」 とよく言われていた。 原発事故当時、私が勤めていたほこだて仏光堂は福島原発から約40km 地元に国からの避難指示は出なかった。 文字通り「原発最前線の葬儀社」となってしまった。 事故が起きた当時、放射能の恐怖とかそんなものよりも、次々に運ばれてくるご遺体と向き合わなければいけなかった。 ただただ、必死に、がむしゃらに仕事をしていた。 原発事故から数日たったある時、朝礼で、避難したい人はしてもよいという話があった。 満足な水も食料も生活必需品も無く、安全かどうかも分からない。 実際その時点で、すでに他県へ自主避難をしていた社員も何人かいた。 周りのチェーン店や大型店はほぼ撤退し、避難した市民も少なくはない状況だった。 長い沈黙があった その時、一人のベテランの先輩が沈黙を破った 「今まで、お客様があったから我々はここにいる 地域の方々に支えられて、我々はここにいる 今、その人たちが困っているこの時、お預かりしてるご遺体を見捨てて逃げていいのか?」 その先輩の一言に奮起されてか、多くの同僚が残る道を選んだ。 私もその一人だった。 それからの日々は、本当に朝から晩まで、休みなくハードな仕事が続いた。 そのベテラン先輩からは、仕事を通じて色々な事を教わりました 「いい大人が『もうダメだ!』『もう終わりだ!』とか情けない事言うから、子供が不安になるんだよ。」 そう言った先輩からは”俺たちが地元を復興させる!”という強い意志を感じた。 ああ、そうだ。 大人が不安がってオロオロしてちゃいけない。 自分たち大人がしっかりしなきゃいけない。 あれから9年が経ち、避難指示も徐々に解除されていった。 ベテラン先輩は、独立して地元で事業を起こし、経営者となっていた。 「原発最前線の葬儀社」ではなくなった今も 私たちは多くのお客様と、地域の方々に支えられ、ここで生活している。 幸いにも、大病もなく福島で生きている。 だから、胸を張って言える 福島は大丈夫です