ためになる!?ぶつだんやさんコラム

2020年3月14日

「赤ちゃんのお骨」

  • ほこだて仏光堂
  • 相馬店 早川登

私は2011年1月末に
現在の会社、ほこだて仏光堂に入社致しました。
父が亡くなり、実家を継ぐために勤めていた白河の会社を辞め、
地元で職探しをしていたところのご縁でした。

入社当時、私は葬祭部に配属。葬儀の事を何もしらなかった私は、
仏事の勉強の事で精一杯だったと思います。

 

そして2011年3月11日
その日は地元の大きな旅館のご葬儀で、朝からたくさんの生花と、
たくさんの供物で式場は彩られ、あふれた生花はロビーに飾り、
自分が入社以来、一番大きなご葬儀でした。

そして、運命の14時46分、私は葬儀式場で、大きな揺れを感じ、
やがて揺れは大きく、そして長く続きました
目の前で次々と倒れていくスタンド生花、恐怖でうずくまるお客様たち
地震が収まったあと、葬儀式場は使えなくなり、
喪主様がロビーの入り口で弔問のお客様へお礼とお詫びをしておりました。

一夜明け、地震の全容が徐々に見えてくると、
それからは亡くなられた方を毎日、見送る日々となりました。
毎日が本当に修羅場のような状況でした。

私に与えられた仕事は火葬場で犠牲者の方々のお骨を拾い、
遺族の方へお渡しする事。火葬場の稼働率も一日9件が最大でしたが、
非常時のため、2倍の18件に拡大。
それこそ、朝から夜遅くまで火葬場にいた事もありました。

ある日、津波犠牲者の赤ちゃんが運ばれてきました。
おそらく、泥まみれの中から見つかり、身体を拭かれて運ばれてきたのでしょう。
冷たくなったお子様を抱きしめ、名前を叫びながら慟哭する親御様を見て、
胸が張り裂けそうな気持ちになりました。
一緒に火葬場でお骨を拾う仕事をしていた同僚が、その小さなご遺体を見て
「俺には出来ない、見ているだけでツライ」と泣きながらうずくまってしまいました。

入社して二ヶ月だから、とか言ってはいられません。
ご遺族の方から見れば、関係なく我々はプロとみられます。
荼毘にふされた、赤ちゃんの小さな小さなお骨を拾うため、
通常使う骨拾いの箸をカッターで細く削り、収骨させて頂いきました。

あれから9年がたちました

あの時の亡くなられたお子様を呼ぶ声は、今も耳に残っております。
あの小さなお骨を拾う光景は、今も目に焼き付いております。
入社してすぐ、あの修羅場のような日々を過ごしたから、
今も葬儀屋としてがんばっていられるのだと思います。