ためになる!?ぶつだんやさんコラム

2020年3月5日

葬送文化の西東 ~部分拾骨と全部拾骨~

  • お仏壇と墓石の太田屋
  • 太田博久(代表取締役)

お雑煮のお餅は丸餅か、角餅か? 鰻は背開きか、腹開きか?

食文化ばかりでなく、日本の様々な文化に西日本と東日本の違いがあるとよく耳にします。

葬送や供養に関しても、実は西と東で異なる習慣(しきたり)があります。よく挙げられるのが、火葬後のご遺骨の取り扱い方です。西日本と東日本で、収骨(お骨の収め方)に違いがあることをご存知でしょうか?

西日本の皆さんは、火葬の後、故人様のご遺骨の中から喉仏(のどぼとけ)を中心に、お体の一部を拾い上げ骨壺に収めるのが通常でしょう。そして、残ったお骨は火葬場に置いてお帰りになります。これを「部分拾骨(ぶぶんしゅうこつ)」と呼びます。

一方の東日本では、ご遺骨は残さず拾い上げ、すべて骨壺に収めるのが常識です。火葬場に残るお骨はなく、この方法を「全部拾骨(ぜんぶしゅうこつ)」と呼びます。

そうなると、西日本の骨壺は小型(5寸以下)となり、東日本は大型(6寸以上)のサイズが標準となります。ちなみに、私の信州は7寸サイズが標準です。※1寸=約3.03㎝ 骨壺サイズは口径で表しますので、5寸は口径が約15㎝になります。

この違いにより、実際にお困りになるケースもあるようです。東日本から西日本へお墓を移転してみたら、カロート(お墓の納骨スペース)が小さくて骨壺が入らない…とか。

「部分拾骨」と「全部拾骨」の東西の境界線は、おおよそ糸魚川‐静岡構造線(またはフォッサマグナ)辺りにあるようです。長野県は全域が「全部拾骨」、岐阜県はすべて「部分拾骨」、静岡県と愛知県では、県境周辺に両方が混在しているそうです。

ご遺骨の一部を身近に置いて供養する

最近は新しい供養の選択肢として、「手元供養(てもとくよう)」という方法が広がりつつあります。

「手元供養」とは、ご遺骨の一部をペンダントやオブジェの中に収めたり、粉末やダイアモンドに加工したり…常に身近に置いて、身につけて故人様を供養する方法です。この方法には、一度骨壺に収めたお骨を取り出したり、触れたりするプロセスが必要になります。そのためか、西と東では「手元供養」の受け止め方に少し違いがあるように感じます。

「全部拾骨」の東日本地域では、一旦骨壺に収めたご遺骨に触れることに対し、何となく抵抗感を持つ方も多いと感じます。信州で終活セミナーを行うと、よく「お骨を骨壺から出してもいいの?」とか「触ってもいいの?」といったご質問を受けることがあります。

その一方で西日本は、大阪の一心寺のように、お骨の一部だけを他の方々のお骨と一緒にして加工し、阿弥陀仏像に変えて供養する「お骨仏」が支持されています。これは、西日本が元々「部分拾骨」文化で、骨壺から出したり触ったりすることに寛容だったからではないかと思います。

故人様そのものとも言える、大切な対象としてのご遺骨をどう扱い供養するのか。

その方法には、「拾骨」の東西文化の違いが反映されていて、とても興味深く感じます。