ためになる!?ぶつだんやさんコラム

2020年3月3日

一休さん

  • 株式会社 ほこだて仏光堂
  • 石巻店 阿部

一休さんが80才の時に大徳寺の住職となったのが
1474年の3月5日となります。

一休さんと聞いて貴方は何を思い浮かべるでしょうか?

とんち好きの小坊主さん?
おぶつだんやさんのCM?
若い方だと、もしかしたら少し前に流れていた
細川たかしさんが歌っている某携帯電話会社のCMの方が
印象が強いかもしれませんね。

本日はそんな一休さん(一休宗純禅師)のお話です。

一休さんが生まれたのは1394年の室町時代とされています。
この頃、武士に人気のあった禅宗の中でも臨済宗が幕府により保護され
今や世界的に有名な鹿苑寺(金閣寺)も1397年に建立されています。

史実の一休さんはかなり破天荒な方だったようで
戒律で禁じられている飲酒や肉食等を行ったり、
正月に杖の頭にドクロをしつらえ、「ご用心、ご用心」と
叫びながら練り歩いたり
親交のあった浄土真宗、蓮如上人の仏像を枕に昼寝をしたりと
本当に和尚さん?とびっくりするようなお話が沢山残っています。

また一休さんのトンチについてですが
先述の蓮如上人との間にも色々な逸話が残っています。

蓮如上人が本願寺の建設の際に、破れた僧衣をきたお坊さんが
頭の上に草を乗せて木材の上に立ちニヤニヤ笑っていたそうです。
作業の邪魔だと思った大工が幾ら言っても少しも動こうとしません。
ほとほと困り果てた大工が蓮如上人に相談した所、

「奇妙な坊主が草を冠って木の上立っている?
それは一休に違いない。ならばお茶を持っていけばいなくなるはずだ。」
と仰ったので、大工はその通りにお茶を持って行きました。
するとそのお坊さんは「さすが蓮如。」と笑いながらお茶を飲んで帰ったそうです。

不思議に思った大工が蓮如上人に尋ねると
「茶という字は、草を被った人が木の上にのっているからだ。」
と笑っていたそうです。

こういった逸話が江戸時代に纏められ一休咄として人気が出たり、
京都府京田辺市にある妙勝寺を一休さんが再興し晩年まで住まわれていた為、
一休寺という通称が定着していたり、
ぜんざいという食べ物の名前は一休さんが「よきかな(善哉)」と
言ったから善哉=ぜんざいとなった説等、本当に色々なお話が残っています。

それだけ皆に愛されたお坊さんだったのかもしれませんね。