ためになる!?ぶつだんやさんコラム

2020年1月10日

お骨仏に魅せられて ~大阪・一心寺~

  • お仏壇と墓石の太田屋
  • 太田博久(代表取締役)
一心寺山門(仁王門)

東京上野の美術館と見紛うアート作品のような仁王像。二体に見守られた山門前で、ほどんどの方が合掌したり、一礼したりしてから境内に入っていきます。

ここは、お骨仏で有名な大阪一心寺。

私は地元信州で寺院葬に伺う機会が多いのですが、ご本堂ではなく、山門で立ち止まり手を合わせる人をあまり見かけたことがありません。一心寺に到着し真っ先に気づいたのは、ごく自然に手を合わせて山門をくぐる方が多いことでした。

お骨仏は、ご遺族からお寺に納められた故人のご遺骨の一部を集めて錬造された阿弥陀如来像です。江戸時代末期に発願され、第一体目は明治20年に開眼されました。以来10年ごとに一体造立されるならわしだそうです。

 

一心寺のお骨仏
10年ごとに造立されるお骨仏

絶えることのない香煙 おりにふれ、時にふれて ご先祖に祈る…

一心寺のパンフレットには、そう書かれています。

私はお骨仏にお参りし、1時間ほど滞在しました。その間、パンフレットの言葉通り、お参りに来る方は絶えることがありません。しかも、その方々の姿が、まるで買い物ついでや散歩ついでにふらっと立ち寄ったかのようで、とても自然なのです。身近な、いつでも気軽にお参りに来られるお寺、それが一心寺なのだ、と強い印象を受けました。

火葬後のご遺骨の収め方に関しては、東日本と西日本では違いがあると言われます。フォッサマグナ(または糸魚川静岡構造線)付近を境に、東日本にはご遺骨を全て骨壺に収める習慣(全部収骨)が、西日本にはご遺骨の一部だけを収める習慣(部分収骨)があるようです。

私の暮らす信州は、東日本文化の全部収骨地域です。そのせいか、一度骨壺に収められたご遺骨を出したり、触れたりすることに抵抗感を持つ方が多くいらっしゃいます。そのため、ご遺骨でお仏像を造るとか、多くの方々のご遺骨と混じり合うとかいった感覚はよく理解できずにいました。

また、一心寺のお骨仏での供養を望む方々は、費用負担が少ないからという理由が一番多いとも聞いていました。「お骨仏って、供養してくれるお寺に宅配便でご遺骨を送るのと同じかも…」と、あまりよいイメージは持てませんでした。

しかし、実際に一心寺にお参りし、次々とお骨仏に手を合わせる方々の姿に触れてみて、私はまるで違う印象を持ちました。ここには、お寺のご本尊に手を合わせる「信仰」要素と、かけがえのない故人やご先祖にお参りしたいという「お墓参り」要素が一体化されているのかもしれないと。

おじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、お母さん…かけがえのない亡き方々が、目の前のお骨仏としてそこに確かにいらっしゃる、そんな実感が得られているのではないかと思います。

百聞は一見に如かず。

私は告白します。自然に熱心に手を合わせる方々の姿と、その先にあるお骨仏に、どうやら魅せられてしまったようです。