ためになる!?ぶつだんやさんコラム
2023年1月28日
令和版・衆生を救う事を考える
- ほこだて仏光堂
- 早川登
「衆生済度」
という言葉があります。
これば仏教において、迷いの苦しみから衆生(一切の生きとし生けるもの)を救って、悟りの世界に渡し導くことを意味します。
こういうと難しいかもしれませんが、我々一般人にも、出来る事があるはず。
困っている人に手を差し伸べる。
悲しんでる人に優しくする。
ところが令和のこの時代になって、問題が起きていました。
我々が「困っている人を助けるため」に善意で出していた募金が不正に使われていたのではないか?という疑惑が持ち上げりました。
それはcolaboという女性支援団体の不正会計疑惑から始まり、そこから調べていったところ、赤い羽根共同募金がその団体へ何千万単位でのかなり高額な助成金を出していた事が発覚。
また助成金の使われ方も、かなりひどい使われていた事も取り上げられ、そこからSNSを中心として炎上騒動が起きました。
一仏教徒として、それを知って非常に悲しい気持ちにさせられました。
本来、人の善意で成り立つはずの募金が、特定団体の都合の良いように使われていたと知ってひどくショックを受けてしまいました。
またその団体が立場の弱い女性を助けるための活動を隠れ蓑にして、そのような不正を行った事にも失望を禁じえませんでした。
弱者を救う
それ自体は素晴らしい事です。
しかし「弱者を救う」事を掲げながら不正に手を出すのは、どうしても看過できない部分があります。
現時点において、その団体は謝罪をする事もなく、自分たちの不正を隠す事に終始している様は
「本当にこの人たちは弱者を救うための団体なのだろうか?」
「弱者を隠れ蓑として、良くない事をしているのではないだろうか?」
と疑問を持ってしまいます。
本当の意味で衆生を救うという事は何なのか?
募金をする事でさえ、疑問を投げかけざる時代になってしまった事を思うと、どうやって一般人は困っている人を救えばよいのか?
今一度考えざるを得ないのかと思う次第です。
募金という人々の善意が、正しく弱者を救う意味で、使われて欲しい。
そう願わずにはいられませんでした。