ためになる!?ぶつだんやさんコラム

2021年12月28日

除夜の鐘と108の煩悩

  • お仏壇と墓石の太田屋
  • 太田博久(代表取締役)
梵鐘 除夜の鐘

12月31日、大晦日の夜に全国各地の寺院でつく「除夜の鐘」。もうすぐ年が明けるという感覚と、空気を揺らしながら響いてくる「ゴ~ン」という音が重なると、なんとなく厳かな気持ちになるものです。

除夜の鐘の起源

除夜とは?

1年の最後の日となる大晦日の夜を「除夜」と呼びます。旧暦では毎月最終日を「晦日(みそか)」と呼び、1年で最終となる12月31日を「大晦日」と呼ぶようになりました。

大晦日は、この日をもって年が除かれ(のぞかれ)新しくなる意味で「除日(じょじつ)」とも言われ、その日の夜が「除夜」となります。

江戸時代に普及した除夜の鐘

除夜の鐘の起源は「鬼払い」という中国で3000年以上前から行われていた風習にあるとされます。それが鎌倉時代に禅僧によってもたらされ日本の禅宗寺院に伝わり、室町時代になって大晦日に鐘をつく習慣となり、江戸時代には多くの寺院で除夜の鐘として普及するようになったようです。そして、大晦日の夜半から1月1日元旦にかけて、1年を振り返り、自身の内側にある108の煩悩を除くことを願ってつく大切な儀式・行事として受け継がれてきました。

108の煩悩(ぼんのう)を除く除夜の鐘

煩悩とは?

仏教では、自分自身を苦しめる根本原因が煩悩だとされます。私達人間が持つ欲は、いつまでたっても満たされることはなく、たとえ満たされたと思ってもまた新たな欲が湧いてきます。欲が満たされたら幸せになり苦しまなくて済むようになるのか…そんなことはないと仏教は教えます。この仏教の教えは「有無同然(うむどうぜん)」と言い、有るのも無いのも同じであるという意味です。その上で仏教では、幸せは財力や容姿、権力や名誉などの外部的な環境要因によるのではなく、内部的な環境要因によるのだとします。つまり、自分の外の環境を変えても人は幸せにはなれない、幸せになれない原因は自分の外にあるのではなく、自分の内側にある、自分の心が自分を苦しめる根本原因なのだと言います。その根本原因が煩悩なのです。

なぜ煩悩は108個?

私達はそれぞれが108個の煩悩を持つとされます。その煩悩をひとつひとつ消してゆくために、除夜の鐘は108回つきます。鐘をつくごとに煩悩をひとつ消し、来年は幸せな1年を過ごすことができるよう願いを込めます。

煩悩の数が108個なのには、いくつかの由来があります。

①六根(眼・耳・鼻・舌・身・意の6つの感覚器官)、6つそれぞれに好(好き)・悪(嫌い)・平(どちらでもない)の3つの感覚、加えて浄(きれい)・染(きたない)2つの感覚、そして現在・過去・未来の3つの世界があり、この「6×3×2×3=108」となります。

②仏教の苦しみ「四苦八苦」により、四苦(4×9=36)+八苦(8×9=72)で108となります。

この2つの説は仏教の教えに基づいています。なんとなく数字遊びのようにも感じられるかもしれませんが、2500年前のお釈迦様の教えには驚くほど数学的要素が含まれています。私達には想像できない科学的根拠があるのかもしれません。

③気候や季節の節目に由来し、1年は12カ月、春夏秋冬を6つずつに分けた二十四節気、それを更に細かく分けた七十二候で「12+24+72=108」となります。これは日本独自の説かと思います。

煩悩はなくせるの?

仏教では、人間に心がある限り煩悩はなくすことはできないと考えられています。ですが、煩悩を抱えたままでも幸せになる方法はあるとされます。それが大乗仏教で言う「煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだい)」という教えです。

人間は常になんらかの欲をもって生きていて、煩悩を完全に滅することは不可能だけれど、その煩悩があるからこそ悟りを得たいという心、菩提心が生まれる。煩悩と菩提(悟りの境地)は表裏一体で、煩悩があるから苦を招き、その苦から脱するために菩提を求め、菩提があれば煩悩を克服できるという意味だそうです。

108個もの煩悩を抱えた私達ですが、除夜の鐘の音に耳を澄ませて少しでも煩悩を取り払い、新しい年を幸せな年としたいものですね。