ためになる!?ぶつだんやさんコラム

2021年7月24日

金箔

  • 株式会社大越仏壇
  • 商品部 小橋
金箔

お仏壇には屋根や欄間、柱などに金箔が使われています。
それだけでなく、金閣寺や中尊寺などの重要文化財や寺院装飾にもふんだんに使用されています。
普段は見る機会の少ない金箔ですが、その99%は金沢産といわれています。
今回は金箔の歴史や製法などを紹介していきます。

 

歴史

1593(文禄2)年2月、秀吉から明の使節団の出迎え役を申し渡された前田利家は、武者揃えの際の槍などを
きらびやかに飾るため、領地の加賀と能登にそれぞれ金箔と銀箔を打つように命じました。
発掘調査によると、能登の七尾城跡から16世紀半ばと推測される金が付着した坩堝(るつぼ)や金箔を
貼った板が出土しています。
この頃の守護大名や戦国大名らは、金や銀を権力の象徴として建築調度品などに多用していました。
織田信長が築いた安土城天守閣も金箔や朱で彩られていました。
城跡からは日本最古の金箔の鯱瓦(しゃちほこ)が発見されています。
信長亡き後の豊臣秀吉も黄金好きと知られています。
秀吉は多くの金銀を収め、大阪天守閣にはふんだんに金箔を施し、黄金の茶室もしつらえました。
また、京都の聚楽第(じゅらくだい)や伏見城にもふんだんに使用しました。
聚楽第近くと伏見城下に構えた屋敷跡付近からは前田家の家紋である梅鉢紋入りの金箔瓦が出土しています。
前田利家の領地であった金沢でも、金沢城址の大手町遺跡から金箔瓦、井守堀からは金箔の鯱瓦が出土しています。
このことから金沢城全体が金箔瓦で飾られ、内部の装飾も金箔で彩られていたと考えられます。
また使用された金箔は、聚楽第や伏見城下の前だけ屋敷も含め、金沢のものである可能性は高いと考えられます。

幕府の管理下に置かれた箔打ち

徳川家康は1603(慶長8)年、幕藩体制を固める経済対策として、全国の主要鉱山を直轄領としました。
1696(元禄9)年には箔座を設け、金銀箔の生産も厳しく統制しました。
箔座廃止後、箔打ちは金座や銀座の管理下に置かれることとなり、金箔は江戸と京都以外での製造が厳しく
禁じられました。
しかし加賀藩では幕府の目を逃れてひそかに箔が打たれていました。
これが「隠し打ち」です。
幕府の公認を得、金箔の製造を続けようと動いたのが金沢の町人能登屋佐助です。
加賀藩領内の不正箔引取の取り締まりを理由に、江戸から買い受けた金箔を領内で独占販売する権利を得たいと
願い出ました。
1845(弘化2)年にこれが認められ、幕府の金座(きんざ)から「金箔受売所」「金銀箔鈖売渡所」の看板が
交付されました。
さらに1856(安政3)年、藩に細工場(さいくば)の設置を願い出て、これが承認されました。
その後順調に発達したものの、1864(文久4)年、金沢城内修理と将軍徳川家斉の娘、溶姫の御用のため、
金箔打ちが幕府から認められたことで細工場は廃止となりました。
しかし職人らがそれぞれで箔打ちを広げていったこともあり、細工場は金沢が金箔生産をほぼ独占する
きっかけとなりました。
その後の明治維新で、新政府は金箔製造の規制が解きました。
これにより金沢産金箔は全国シェア99%になりました。

製造工程

金箔の製法は二通りあります。

1つは“縁付(えんつけ)”。

雁皮紙(がんぴし)を藁灰汁や柿渋(かきしぶ)などに漬けて仕込んだ、箔打ち紙を使う製法です。
藩政期からの伝統を受け継ぐものですが、職人の高齢化により、継承が危ぶまれています。

もう1つは“断切(たちきり)”。

グラシン紙(薄紙)にカーボンを塗った特殊紙を使った製法です。
効率の良い製法とされ、近年は生産の大半を占めています。

ここでは、縁付を紹介します。

箔打ち用下地紙

箔打ちに欠かせないのが下地紙です。
箔打ち用の下地紙は雁皮をもとに作られます。
兵庫県西宮市名塩と石川県川北町中島、金沢市二俣町でしか手に入りません。
まず雁皮の上皮をたくります。
たくり終えると小川ですすぎ、大きな汚れを取り除きます。
次に釜の中で、沸騰した灰汁で煮熟します。
煮熟後、一晩釜の中に入れ、翌朝水槽の中で塵を取ります。
その後ビーターという機械で叩解し、繊維を分解させます。
次に、紙漉き(かみすき)です。
ペースト状になった紙漉きの原料である紙料に、石を粉砕して微粒子上にした特殊な泥を混ぜます。
紙料を漉き槽(ぶね)に移した後、ネリを加えます。
準備が整ったら、簾状の桁で紙を漉きます。
漉き終えたら紙床板(しといた)に1枚ずつ積み重ね、紙床を作ります。
紙床を圧搾機にかけ、少しずつ水を搾ります。
圧搾が終わったら、イチョウの干板に張り付け、乾燥させます。
乾燥後板からはがし品質を極めながら貯蔵します。

金箔の製造工程は大別して3つです。
さらに、“澄屋(ずみや)”と“箔屋”で分業されます。

“澄屋”の仕事

1.延金(のべきん)

まずは金合金の地金づくりからです。金に微量の銀と銅を加え、約1300度に熱します。溶解したら型に流し、
冷却します。その後、ロール圧延機にくぐらせ延金します。
2.上澄(うわずみ)
100分の3ミリの延金を約6㎝四方の小片(小兵 こっぺ)に切り、澄打機でさらに1000分の3ミリまで叩き延ばします。
順に薄くなるよう“小兵”→“荒金(あらがね)”→“小重(こじゅう)”→“大重(おおじゅう)”の4工程で打ち延ばし、
最後に“上澄”で艶消しをして終了です。

“箔屋”の仕事

紙仕込み
箔屋の仕事の多くは“紙仕込み”です。
「紙仕込み」はいったん紙を湿らせる「延べ仕込み」の後、灰汁に漬けてから仕込み用の機械で空打ちする
「灰汁仕込み」繰り返して行います。
頃合いを見て金をはさんで試し打ちし、具合が良ければ“主紙(おもがみ)”として箔打ちに使われます。
打ち前
“上澄”は箔屋へ渡され、主紙に挟まれて打たれ、1万分の1ミリとなります。これで金箔の出来上がりです。