ためになる!?ぶつだんやさんコラム
2021年7月18日
空海と空海の言葉
- (株)佐倉幸保商店
- 佐倉浩徳(代表取締役社長)
私が住む和歌山県には、真言宗総本山の高野山があります。
和歌山県北部に位置し、和歌山市内からは高速道路を使って1時間半程の距離です。
今では道も整備され、車や電車などの交通手段があるため、だいぶ行きやすくなってはいますが、その昔はそう簡単には行ける場所ではありませんでした。今では117か寺が集まる日本仏教の聖地となっており、山全体が高野山金剛峰寺の境内となっています。2004年にユネスコ世界遺産に登録されたこともあり、海外からの観光客も多く、50以上ある宿坊は日本仏教に触れられる場所として、とても人気となっています。特に一の橋から奥の院弘法大師御廟までの空気は、ピーンと張り詰められ、清浄というものを感じられる気がします。私も何度か訪れていますが、その度に浄化される気持ちです。
そもそも高野山金剛峰寺とは、約1200年前平安時代のはじめ頃、弘法大師空海が山上に広がる盆地に金剛峯寺を立て、修禅の場としたことから始まります。空海と言えば天台宗開祖の最澄と並ぶ日本仏教界の二大開祖です。最澄といえば努力を惜しまない秀才型、対し空海は生まれ持った才能とカリスマ性を併せ持った天才型で語られることが多いです。
現に空海は数々の逸話を持ち、もの凄いスピードで修行を極め、日本の密教仏教の礎を築いた偉大な宗教家ですが、人々を苦しみから救うための実業家としての顔も持っています。
例えば中国へ仏教を学びに行った際、土木工事の技術を持ち帰りました。香川県にある満濃池の防波堤の改修工事は有名です。大洪水で決壊した池が田畑を流し、多くの民は苦しんでいました。朝廷から派遣された使者が修築を行いましたが、人手不足と技術不足で1年経っても完成する見通しがつかなかったそうです。ところが空海が派遣されると、人々はあっという間に集まり、わずか3か月で修築を完了させたそうです。その技術の高さと発想に周囲は圧倒されたそうですが、その間も空海は小さな丘の上で毎日護摩をたき、仏に祈りを捧げていたそうです。
その他にも、東洋医学を学び、お灸を日本へ持ち帰るなど新しい文化を次々に広めました。また日本各地には空海が掘り当てたとする温泉がいくつもあります。井戸にあたっては1000カ所以上の井戸が空海と由縁を持つとされています。そうしてたくさんの人々の生活を救ったのです。
学問的な探求のみならず人々との触れ合いも大切にしてきた空海。奇想天外な発想と行動力、ズバ抜けた仏教的才能を持つ空海でしたが、それでも人に寄り添い続けることを忘れなかった空海だからこそ、届きやすい言葉でその教えを伝えることができました。その言葉のいくつかをご紹介します。
『蜜柑は冬の霜に遭って、さらに色づく』
辛いことがあっても、より大きく成長させてくれる
『どんなによく効く薬でも、飲まなければ効かない』
行動を起こさなければ何も起こらないのは当たり前のこと。
『環境というのは自分の心のあり方によって変化するものである』
現実を受け入れることは大切だけど悲観しているだけではなく捉え方や考え方を変えてみると環境だって変えられる。
『欲の矢は、あらゆるものを救いたいという情熱も含む』
欲というのは悪いだけではない、射る方向を変えれば人を救う力となる。
『人を待ち、時を待つ』
来るべく人や物事には、来るべき時がある。焦らずに待つときには待つ。
『いつまでも愚かなままではない、時が来れば花が咲く』
愚かだと思ってしまうほどの失敗も、物事がうまく進まない現状も、耐えながら糧にすれば、きっと実を結ぶ時が来る。
1200年も前の言葉ですが、現在の私たちの心にも重なる言葉です。はっとさせられたり、希望を持たせてくれる言葉の数々です。空海はもっともっとたくさんの言葉を残していますのでまたご紹介できたらと思います。
高野山奥の院の御廟は、835年空海が永遠の瞑想をするため入定された場所です。今もなお空海がそこに生き、世界平和と人々の幸せを願い瞑想を続けていると信じられています。そして1200年もの間続けられている儀式『生身供(しょうじんぐ)』は、空海に食事を届ける儀式で、1日2回御供所で調理された膳を嘗試地蔵(あじみじぞう)の味見を経て2人の僧が白木の箱に収め御廟へと運んでいます。雨の日も雪の日も続けられるその儀式。目の当たりにした時には心を動かされるものがあります。空海は姿こそ見えませんが、そこにいるのです。今もなお私たちに寄り添い続けていらっしゃるのです。