ためになる!?ぶつだんやさんコラム
2021年7月16日
お釈迦様とはいったい何者?
- 株式会社ぶつだんのもり
- もくりんくん
お釈迦様(おしゃかさま)という呼び名は、あまり仏教に詳しくない人でも聞いたことがあるのではないでしょうか。
お釈迦様とは一体何者なのか。実在の人物なのか。
少しだけご紹介したいと思います。
お釈迦様は仏教の開祖
お釈迦様は北インドに実在した人物で、名前を「ゴータマ・シッダールタ」といいます。
35歳の時に悟りに達して仏陀(ぶっだ)となり、梵天(ぼんてん)の説得によって仏教を開くことになります。
お釈迦様の誕生
お釈迦様は、今でも「花まつり」として知られる4月8日に釈迦族の王子として生まれました。お釈迦様という呼び名はこの一族の名前からきていると思われます。
伝説ではお釈迦様は生まれてすぐに7歩あゆみ、右手を上に、左手を下に向けて、「天上天下唯我独尊」と喋ったといいます。
この時の姿は「誕生仏」という名前の仏像で知られています。
お釈迦様の入滅
お釈迦様が亡くなった日は「涅槃会(ねはんえ)」として知られている2月15日とされています。
お釈迦様が80歳の時にクシナガラという地で最期を迎えられました。
涅槃図では多くの弟子に見守られながらの入滅が描かれていますが、実際は弟子の一人である「阿難陀(あなんだ)」に見守られながらの最期であったと言われます。亡くなられる直前まで、自身の死というものに対しての受け入れ方までも阿難陀に教えを説き続けたそうです。
釈迦如来
現在ではお釈迦様は、仏様の釈迦如来(しゃかにょらい)として仏像となったり掛軸に描かれたりしています。
如来とは悟りを開いた者であり、仏教における尊格の最高位です。本来は、仏様とはこの如来のみを指す言葉です。
数々の如来の中で実在した人物はお釈迦様だけです。それだけに、他の仏様には無い多種多様な姿の仏像が存在しています。
如来となる前の誕生仏から、悟りを開く前、悟りを開い後、涅槃像等々…。
お釈迦様の別名
釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)や釈迦牟尼如来(しゃかむににょらい)、釈迦牟尼世尊(しゃかむにせそん)、釈尊(しゃくそん)と呼ばれることもあります。
また、本来は悟りを得たものの総称である「仏陀」という呼び方は、もう仏陀と言えばそれがお釈迦様の事を指したりもします。
お釈迦様の二大弟子
お釈迦様には数多の弟子の中でも主要な10人の十大弟子という者たちがいます。
さらにその中でも特に優れているといわれる二大弟子が智慧第一の「舎利弗(しゃりほつ)」と神通第一の「目連(もくれん)」です。
舎利弗と目連の二人は親友で、共にお釈迦様の弟子となり、すぐに悟りを得たといわれています。
舎利弗は舎利子(しゃりし)とも呼ばれ、般若心経や阿弥陀経、法華経と言った重要なお経にて、お釈迦様の説法の聞き役として登場しています。
目連は、その神通力をもって供養を行って餓鬼道に落ちた母を救ったとされ、その事がお盆の供養の元となったともいわれています。
舎利弗と目連はお釈迦様の後継者と目されていましたが、二人共お釈迦様より先に亡くなっています。
お釈迦様の生涯
お釈迦様は、王族に生まれるも人生の無常を感じていて、29歳で出家して様々な苦行を行いますが、それでは悟りを得られないとして苦行を放棄します。
座して瞑想に入って、35歳の時に悟りに達しますが、この悟りの境地は世間の常識外すぎて人々には伝えることは無理だろうと、伝えるのを諦めていたところに梵天が現れ、ぜひその教えを説くべきだと幾度も勧請され、ついに仏教として伝える決意をします。
それからは生涯を仏教を伝える事に捧げました。
悟りに達したお釈迦様が、その境地の教えを伝えてくれたおかげで、今日の日本の仏教文化も生まれたと言えるでしょう。