ためになる!?ぶつだんやさんコラム

2021年6月21日

仏教誕生の地、インドで最高位まで上り詰めた日本人僧

  • (株)佐倉幸保商店
  • 佐倉浩徳(代表取締役社長)

佐々井秀嶺(ささいしゅうれい)という日本人僧侶を皆さんはご存知でしょうか。日本の岡山県で生まれ育った佐々井氏は、遠い国インドに渡り国籍を変え仏教の最高位にまでなりました。

 

インドはお釈迦様がお生まれになった場所でもあり、仏教が誕生した土地でもある、原点というべき国です。

 

しかし、インドで信者数が最も多い宗教は、同じインドで誕生したヒンドゥー教で、全人口の8割にも上ります。対して仏教徒は0.7%程だと言われています。なぜ、それ程に差があるのか。ヒンドゥー教は民族宗教で、特定の民族のための宗教です。民族の誕生神話などから始まる、民族に密接した宗教のため、その民族に生まれたものは皆、代々ヒンドゥー教徒なのです。

 

インドにおける仏教徒は0.7%と少ない割合です。人数にすると844万人の信者がいるそうですが、実際の信者数は1億5千万にもなると言われています。それは人口の10%以上となります。それほどの誤差が生まれているのはなぜか。それは国に無届で信仰している信者が1億4千150万人程いるということです。なぜ国に無届で信仰するのか、又なぜインド仏教の頂点に佐々井氏がいるのでしょうか。

 

人口の80%を占めるヒンドゥー教には、カースト制度があります。その最下層である『不可触民』と呼ばれる人たちは、人口の約16%占めています。しかし不可触民はカースト制度にすら入れられていない人々で約3000年もの間、激烈な差別を受けてきた人々です。現在のヒンドゥー教では差別は禁止とされていますが、無くなっていないのが実際のところです。

 

この現状を良くしたいと立ち上がったのが、初代インド法務大臣だったアンベードカルです。彼は不可触民の出で、幼いころからヒンドゥー教徒からの差別を感じながら育っていました。この差別の根源にはヒンドゥー教の教えがあると、1956年に不可触民50万人と共にヒンドゥー教から仏教へと改宗しました。仏教に自由と平等を求めインド仏教復興運動を起こしたのです。しかしその2か月後に持病が悪化し65歳で亡くなってしまいました。その後、復興運動は停滞しました。

 

1967年、32歳の佐々井氏は日本から遠いインドへと渡りました。すると夢の中でお告げを受けナグプールという地に導かれます。「私は坊さんですから、インド仏教再興のお手伝いをしなければならない」とその土地で布教活動を始められました。そして、不可触民の救済に尽力し、仏教に救いを見出したアンベードカルに大変感銘を受けたそうです。

佐々井氏がインドに渡った50年程前には、不可触民たちは井戸の水を汲むことを禁止されていたため、泥水をすすっていました。仕事といえば辛い農作業や死体処理などのきつい仕事がほとんどです。上位カーストの人々から酷い扱いを受け、理不尽な理由で命を奪われることもありました。それでも家族は訴えることすらできず、行き場を亡くした心の救いを求め、カースト制度の根源であるヒンドゥー教の神に祈りを捧げていたそうです。なぜ?と疑問を抱いてしまいますが、約3000年もの長い間に植え付けられたヒンドゥー教の教えは、そう簡単に人々の心から抜けることはなかったのです。

そこで佐々井氏は各村をまわり「あなたたちも同じ人間であり、仏教は平等に受け入れてくれる」と唱え続け、村人たちの心に寄り添い続けたのです。我慢ばかりを続けていた不可触民の人々は時間をかけ『自分も人間である』と心を解いていったそうです。すると親たちは自分たちの食事を抜いてでも、子どもたちを学校へ行かせるようになりました。子どもは親の期待に応えたいという思いと、学べる喜びに一生懸命に勉強に励みました。それでも色々な場面で差別に合いましたが、その度に皆で団結するようにと指導したのです。

1987年、佐々井氏はビザ切れによる不法滞在で逮捕されました。しかし佐々井氏を支持する60万人もの署名が集められ、翌年にはインドの国籍を取得したのです。その後も布教活動に力を注ぎ続けた佐々井氏は、2003年インド政府の少数者委員会の仏教代表に任命され、名実ともにインド仏教最高指導者となったのです。

佐々井氏は布教のみならず、仏教最高の聖地とされるブッタガヤを仏教徒の手に取り戻す活動もしています。ブッタガヤは仏教の衰退と共にヒンドゥー教の管理となっていましたが、お釈迦様が悟りを得たこの地を奪還すべく今もなお戦い続けています。

 

そんな佐々井氏の住居は寺院横に建てられた10畳程の古い家です。最高位を手にしながらも、50年以上贅沢もせずに弱い立場の人々に寄り添い続けています。増え続ける改宗に恐れたヒンドゥー教の過激派に命を狙われることもある佐々井氏。それでも変わらずに居続ける、命を懸けた不屈の精神に、人々は導かれているのではないでしょうか。

 

佐々井氏を調べていると、以前コラムに書いた鑑真を思い出しました。正しい仏教を伝えるために中国から日本へ渡った鑑真。教科書でも学ぶ偉人です。日本からインドに渡り、カースト制度に苦しむ人々を救うため、布教活動を続け戦い続ける佐々井氏。通ずるものがあります。

 

日本で生まれた、このような素晴らしい人がいることを日本人に、あまり知られていないことは残念ですが、数十年後には佐々井氏の名前も鑑真のように教科書に載るかも知れませんね。佐々井氏は書籍も出されています。ここには書ききれない逸話がたくさんある方なので、気になった方はぜひ読んでみて下さい。