ためになる!?ぶつだんやさんコラム

2021年6月14日

浄土真宗

  • 株式会社大越仏壇
  • 商品部 小橋
親鸞

浄土真宗は今から850年前の鎌倉時代、親鸞聖人によって開かれました。
「老若男女問わずいのちあるものすべてすくわれる」という阿弥陀様の教えを、親鸞聖人は分かりやすく
お説きになっています。
その後、蓮如上人によって室町時代民衆に広がり、現在に至ります。
今日浄土真宗は世界で広く知られ、数多くの寺院や門徒があります。
ここでは、浄土真宗の知っておきたい項目を紹介していきます。

・浄土真宗本願寺派、真宗大谷派

現在、浄土真宗は「真宗十派」といわれるように、10の宗派が存在します。
その中で、「浄土真宗本願寺派(お西)」と「真宗大谷派(お東)」という2つの宗派が大多数を占めています。
もともと1つであった宗教が東西に分かれ、勢力を持つようになったのはなぜでしょうか。
これには親鸞聖人亡き後、本願寺建立の歴史があります。
本願寺は、もともとは親鸞聖人の廟堂(びょうどう)が発展したものです。
1263(弘長2)年11月28日、親鸞聖人は90歳で亡くなられました。
そのお遺骨は京都東山鳥辺野の北、大谷におさめられました。
しかしあまりに簡素であったため、末娘の覚信尼さまや門弟たちは10年後、1272(文永9)年に大谷の西、
吉水の北地に六角の廟堂を立て、遺骨を新たにおさめました。これが大谷廟堂です。
大谷廟堂は、敷地を寄進された覚信尼さまが「留守職」という守護の番につくこととなり、その後覚恵上人、
次に孫の覚如上人が第3代に就任されました。
覚如上人は浄土真宗の教えを、法然上人から親鸞聖人、さらにその孫の如信上人から正しく伝えられたと
されました。
さらに本願寺を中心に、門弟を集結させたことにより、親鸞聖人の正しい継承者は覚如上人とされました。
本願寺という名前は元享2(1321)年につけられ、そこには覚如上人から次代の善如上人にかけ、親鸞上人影像の横に
阿弥陀如来が安置されました。
その後、7代目の存如上人のときに御影堂と阿弥陀堂の両堂にも安置されました。
元禄7(1457)年、第8代蓮如上人は父である存如上人から継承し、御同朋・御同行のもと、親鸞聖人の教えを
分かりやすく説かれ、本願寺を興隆させました。
しかし蓮如上人の教化は比叡山を刺激し、本願寺は破却してしまいました。
逃れた蓮如上人は親鸞聖人像を大津近松坊舎に安置し、文明3(1471)年に越前吉崎に赴かれました。
蓮如上人の説かれた教えは、支配体制からの解放の声となり、門徒たちは一揆をおこしました。
これを鎮めようと、蓮如上人は吉崎を退去され、河内出口を中心に教化活動をしました。
また、文明10(1478)年に京都山科へ赴き、本願寺造営に着手し、文明12年には御影堂と阿弥陀堂の再建を
果たしました。
しかし元亀元(1570)年、天下統一を目指す織田信長と本願寺との間で戦いがおきました。
11年の石山戦争の末、天正(1580)年、本願寺はついに信長と和議を結びました。
第11代顕如上人は石山本願寺を退き、豊臣秀吉の命で大阪天満へ移られました。
天正9(1591)年、秀吉の京都市街経営計画により本願寺は再び京都に建つことになりました。
顕如上人は六条堀川(現在地)を選び、文禄元(1592)年御影堂と阿弥陀堂の両堂を完成させましたが、
同年50歳で亡くなられました。
長男、教如上人が後継ぎとなりましたが、三男、准如上人に譲状があてられたため、教如上人は裏方となりました。
これには大阪本願寺を退いた退去派と、信長との抗戦をとなえた教如上人の籠城派の対立が背景にありました。
慶長7(1602)年、教如上人は徳川家康から烏丸七条に土地を寄進され、御堂を建立しました。
この時から、東西に分立しました。
これにより、浄土真宗本願寺派と真宗大谷派が出来ました。

・教え

親鸞聖人の説かれた浄土真宗のみ教えは、どんな人も「ただ念仏して弥陀にたすけられる」という本願他力の
教えです。
能力や地位、性別関係なく、生きとし生けるものすべて平等にすくわれるという教えです。
出家修行や戒律(規律)を守ることのできない人、悩み苦しんでいる人もすくうというのが阿弥陀様の本願なのです。
親鸞聖人は9歳で出家されてすぐ「さとり」を得るべく、20年間比叡山で修行されました。
しかしそこで修行をしても、「さとり」を得るどころか出てくるのは煩悩だけでした。
修行では「さとり」を得ることはできないと、29歳で比叡山をおりました。
その後、聖人は法然上人と出会われました。これが親鸞聖人を大きく変える出会いでした。
「どんな人も念仏1つですくわれる」という法然上人の教えのもとで学び、その後阿弥陀様に出会いました。
阿弥陀様との出会いは、親鸞聖人がこれまで生きてきた意味やこれから生きる意味、また、今生きている意味を
変えたのです。
自身が「生かされて生きる」という意味を、親鸞聖人は阿弥陀様の「慈悲」によりいただかれたのです。
親鸞聖人が35歳のとき、法然上人の教えに対する弾圧をうけ、越後へ流罪となりました。しかし聖人はこの弾圧
も出会いと受け止められました。
このことをきっかけに、親鸞聖人は「愚禿釋親鸞」と名乗るようになりました。
これは「浄土の教えを仰ぐものは、わが身の愚かさに気づいて往生する」という法然上人の教えを受け継ぎ、
阿弥陀様の教えを伝えていくという意義を見出されたのです。
50歳を過ぎ、親鸞聖人は『教行信証』という書物の執筆を始められました。
60歳で京都へ戻られた後も執筆をつづけ、阿弥陀様との出会いや教え、慈悲を伝えました。
親鸞聖人の説かれた浄土真宗の教えが、今もなお私たちに阿弥陀様の慈悲を説いて下さっているのです。
「ただ念仏して」とは、一心に「南無阿弥陀仏」ととなえることです。
誰もが耳にする言葉ですが、これは阿弥陀様への願い事の言葉ではありません。
「南無」とは「よりどころとする」という意味で、「私は阿弥陀様をよりどころとします」、「阿弥陀様の教えに
つくします」ととなえるのです。

・法事

祥月命日(亡くなられた月の命日)をご縁とし、仏の教えに感謝します。
その後、亡くなられてから1年後に一周忌、翌年に三回忌、その後七回忌、十三回忌、十七回忌、二十五回忌、
三十三回忌、五十回忌と法要を行い、以降50年ごとに行います。
亡くなられた日と同じ月日、もしくはその前後に行われます。
浄土真宗では、追善供養のために法事は行われません。
これは「臨終即往生」(亡くなってすぐに浄土へ導かれ、仏となる)の考えに基づいています。
遺された方が、亡き方を通して聞き取らなければいけないことを聞き(「聞法」)、そのことに感謝し(「報謝」)、ご縁を頂く。このことが法事の意味です。

・戒名

「戒名」とは仏弟子としての名前です。
出家して仏門に入り、修行して受戒をし、お釈迦様のお弟子として生きていく誓いとして、「戒名」を
いただきます。
浄土真宗では、「法名」という似た意味の言葉があります。
しかしこれは「仏・法・僧の三宝を拠り所とし、お釈迦様の弟子として生きていく誓い」を意味します。
浄土真宗では「戒律を守ることのできない私たちを必ずすくい、浄土へ導く」というお釈迦様のはたらき(法)に
帰依します。そのため「戒名」ではなく「法名」といいます。
戒名も法名も「亡くなってからいただくもの」と思われている方も多いですが、上記の通り生きているうちに
いただきます。
本山で帰敬式を受け、本願寺住職(ご門主)からいただきます。ただし帰敬式を受けずに亡くなられた場合、お葬式の際お手次のお寺様より「剃髪式」を行い、いただくことができます。

・四十九日

祥月命日から49日後の法事を「四十九日」、または「七七日法要」といいます。
亡くなられた日を初七日とし、その後一週間ごとに法要を行い、七週目の四十九日を行うのが基本の流れです。
故人への悲しみを通し、今一度仏に感謝する日とされています。
他宗派では故人が閻魔大王から、極楽浄土へ行けるかの判決が下される日とされています。
しかし浄土真宗は「臨終即往生」の宗派の為、そのようなとらえ方はしません。
四十九日までの期間は、避けるべきことがあります。
正月のお祝いや神社参拝、旅行といった祝い事や娯楽です。
四十九日は以下の手順で行われます。
施主のあいさつののち、読経・焼香をします。
『正信偈』をよみ、その間に参列者で焼香をします。
読経が終わると法話が始まります。
その後閉式のあいさつをし、法要は終了します。
法要ののち、納骨を行います。
墓地へ移動し、納骨の式をあげます。
終了後は会食をします。
会食終了後引き出物を渡し、お礼の言葉をあげ、四十九日は終了です。

・位牌

位牌とは、故人の戒名が書かれた木牌の事です。
位牌は故人の霊が宿る場所、故人そのものとされています。
葬儀に使用する白木位牌と仏壇に安置する本位牌があります。
白木位牌は葬儀用の仮位牌の為、終了後四十九日までに黒塗りの本位牌にします。
これは、故人の魂は成仏しておらず、四十九日まではこの世をさまよっていると考えられているためです。
浄土真宗では原則位牌を使用しません。(例外もあります。)
先述しましたように浄土真宗は、亡くなってすぐこの世を離れ成仏されるという考え方です。
したがって個人の追善供養の必要はなく、位牌も使用しないのです。
浄土真宗では「法名軸」を使います。
「法名軸」は名の通り、法名の書かれた掛軸です。一般的にお仏壇内部の側面にかけます。
また、「位牌」や「法名軸」が増え、お仏壇に入りきらなくなった場合は「過去帳」を使います。
「過去帳」には故人の戒名または法名に加え、日付を記し、普段はお仏壇の中にしまっておきます。
法要のときにお仏壇の中に置きます。
「過去帳」は位牌と違い、家系図としての意味合いが強い為、供養の対象とはなりません。

・数珠

数珠は法事やお墓参りで用いられる仏具です。
数珠を手にかけ合掌し、念仏を称えることで人間の108つの煩悩が消えていくといわれています。

男性用

一重(片手)の紐房
玉の大きさは22玉、20玉、18玉、みかん玉

両手にかけ、房を下に垂らします。お西、お東共通です。
持つときも房を下にします。

女性用

頭付房
主玉108個、親玉1個、その対角に向玉1個、天玉4個、弟子玉に露玉

お西さんは両手にかけ、房を下に垂らします。
持つときも房を下にします。

お東さんは両手にかけ、房を左側に垂らします。親玉をそろえ、親指で挟みます。
持つときは房を下にします。

*形式に、必ずこれといった決まりはありません。お寺様へご相談されることもお勧めします。

・仏壇の飾り方

仏壇(お内仏)や内陣に、仏具で飾り付けすることを「荘厳(しょうごん)」と呼びます。
「荘厳」も、西と東で異なります。

浄土真宗本願寺派(西)

仏壇中央に阿弥陀様の掛軸、または木造を置きます。
その向かって右側に親鸞聖人像の掛軸、左側に蓮如上人像の掛軸をかけます。
阿弥陀様の前に、「仏飯器」という器でご飯のお供えをします。
中央段に「前卓」という机を置き、「五具足」を並べます。
五具足とは「花立」2つと「燭台」2つ、「香炉」の計5つを指します。
内部の屋根に「瓔珞(ようらく)」を対にさげ、並ぶように「猫足灯籠」と「蓮輪灯」を飾ります。
お供え物は、普段は「高坏」を一対で用い、その上に置きます。
法要では「六角供華(ろっかくくげ)」を一対で用い、その上に「おけそく」と呼ばれる丸い餅を置きます。

真宗大谷派(東)

仏壇中央に阿弥陀様の絵像、または木造を置きます。
その向かって右側に「帰命尽十方無碍光如来」という十字名号、左側に「南無不可思議光如来」という
九字名号をかけます。
中央段に「前卓」を置き、こちらは「三具足」を並べます。
「花立」や「燭台」、「香炉」は一つずつの計3つです。
上部に「蝶足灯籠」と「輪灯」を飾ります。法要の際は、「輪灯」に「瓔珞」を飾ります。
お供え物は、普段は「高坏」を一対で用い、その上に置きます。
法要では「八角供華」を一対で用い、その上に「おけそく」と呼ばれる丸い餅を置きます。

両宗派、「打敷」は法要で用います。「前卓」の上板との間に挟んでかけるのが一般的です。
また、浄土真宗ではお水やお茶はお供えしません。
浄土真宗では「極楽浄土に水が湧き出ている」と考えられているためです。

紹介したのは荘厳の一般的の例です。お仏壇の大きさや形により、荘厳の仕方も変わります。
また、地方によりお供えするものや飾りものに違いがあります。
荘厳でお困りの時は、お手次のお寺様や仏壇店に相談されることをお勧めします。