ためになる!?ぶつだんやさんコラム

2021年6月4日

仏教用語「往生」

  • 株式会社ぶつだんのもり
  • もくりんくん
往生

往生(おうじょう)という言葉は、日常の言葉で様々な使われ方をしています。

「大往生を遂げる」や「往生際(おうじょうぎわ)が悪い」「立ち往生」「往生する」など、広い意味では[最後]のような感じで使われているでしょうか。

この往生という言葉は元々は仏教用語です。

往生の元々の意味と、往生が使われている言葉のそれぞれの意味をお話していきます。

 

仏教の往生

極楽浄土仏教での往生という言葉は極楽往生とも言われ、その意味は仏の世界である極楽浄土へ往き、生まれることです。

仏の世界に行くだけではなく、そこに生まれるということから、仏に成るという意味を持っています。それはすなわち成仏(じょうぶつ)ということです。

さらに本来の意味は「六道[地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天]の別の世界に往って、新たに生まれる」という輪廻転生(りんねてんしょう)をあらわす、成仏とは逆の意味ともいえる言葉でもありました。

浄土思想が広がるにつれ、誰しもが浄土に往って生まれることが出来るという考えとなり、成仏をあらわすようになったそうです。

 

大往生を遂げる

長生きした人が亡くなった時に「大往生を遂げる」という言葉を使うことがあります。

苦しまずに安らかに死を迎えることが大往生の意味であり、病気や事故死ではない老衰等の自然死により他界することを指します。

気を付けたいのが、「大往生でした」という言葉は遺族以外が使うのはマナー違反にあたるということです。

それは、「もっと長生きしてほしかった」と思っているかもしれない遺族に対し、「大往生でしたね」という言葉をかけると失礼になるということです。

 

往生際が悪い

「往生際が悪い」とは悪事を暴かれて追い詰められた者が、その非をなかなか認めないといったような意味で使われたり、もっと単純に「あきらめが悪い」「未練がましい」という意味で使われる言葉です。

元々は死を迎える際であってもまだ正しい信心を持てない事を表していた言葉でしたが、その様なもうどうしようもない状況に陥っても覚悟ができない、観念しないという事から現在のような意味になったようです。

ちなみに、「覚悟」や「観念」も仏教用語であり、仏教においての元々の意味は、「覚悟」とは迷いを捨て悟りを得ることで、「観念」とは仏や浄土についてを正しく見極め考えることです。

 

立ち往生

弁慶元々は有名な武蔵坊弁慶に代表される、敵に立ちはだかり、そのまま倒れもせずに命を落とすという意味で、立ったまま往生するということです。

現在では、ある地点で止まったり行き詰まったりしたまま、どうにもできなくなることという意味で使われています。

大雪の時に、車がどうにも進まなくなって立ち往生という使い方が最近では最も多いでしょうか。

 

往生する

困るという意味で使われる言葉です。過去形でも「あの時は往生した」などのように使われます。

元々の往生の意味から「追い詰められた=困った」となったと思われます。