ためになる!?ぶつだんやさんコラム
2021年4月12日
漂流する「喪失の痛みと悲しみ」
- お仏壇と墓石の太田屋
- 太田博久(代表取締役)
「お悔やみに行ってよいものか…どうしたらいいと思う?」
いわゆる「家族葬」と呼ばれるお葬式増え出した頃から、地元知人の皆さんからそう尋ねられることがありましたが、特に最近は頻繁に問いかけられるようになりました。もちろん、これはコロナ禍の影響でお葬式を「より少人数で、より周囲に知らせずに」執り行うケースが急激に増えたからです。
私共の長野県諏訪地域では、お葬式の数日前に市町村の「区のお知らせ」や地元紙に訃報を掲載し、故人様やご遺族と縁のある地域の方々にお焼香に来てもらい、お別れの機会をつくることが通常でした。大学時代に受講した「地域メディア」の授業で、地元密着の訃報情報掲載を先駆けた地域紙の事例として、故郷の新聞社名が取り上げられて驚いたほど、この地域では当たり前のことでした。それが最近では、お葬式前に掲載するお宅が急減し、まったく掲載しないか、掲載してもお葬式を執り行った後に「近親者のみで相営みました」と載せる場合がほとんどです。その結果「どうしたらいい?」という私へのお尋ねが増えています。もちろん私は「たとえ後日でも、是非ご自宅へお悔やみに、お別れに行って差し上げてください」とお答えしています。
お葬式の規模が大きくなり、故人をご存じない方々が「義理」で大勢お焼香に来るようなお葬式が多かった時代も確かにありました。やはり、そのようなお葬式は好ましくないだろうと私も思います。ただ、コロナ禍の影響もあり、さすがに少人数になり過ぎてしまい、故人様と一緒に生きてこられた、ご家族以外の「喪失の痛みや悲しみ」を抱えている方々のお別れの機会が失われ、その方々のお気持ちが行きどころなく漂流してしまう事態になっていないか…それがとても気になります。
3年前に喪主として経験した父のお葬式の中で、今も忘れ得ぬ記憶として私の心に刻まれている場面は、火葬場に向かう際に立ち寄った、弊社仏壇店の駐車場に集まり、父を見送ってくださった地域の皆さんのお顔です。私が幼い頃には店舗と住まいが一緒でしたので、父が共に暮らし、共に生き、大変お世話になった方々ばかりです。住まいも勤務場所も、もうその場所を離れて随分年月は経ちましたが、見送ってくださる地域の方々お一人お一人のお顔を拝見し、改めて父の人生の中の一部として、この皆さんが一緒に、確かに居たのだという事実が思い出され、それが私自身の幼い頃の記憶とも結びつき、僅かな時間でしたが、心からお世話になった御礼を申し上げたいとの気持ちが自然と込み上げてきました。
地域以外では、父の個人的な友人で、私がお名前しか存じ上げなかった方が後日わざわざお越しになり、子どもの私以上の悲しみかもしれないと思うほど泣いてくださった姿に接し、改めて父の人生にくっきりとした輪郭ができたような気がしました。
故人様にとって、最も近しいご家族の痛みや悲しみはもちろん大切な気持ちです。でも、故人様お一人の人生の中には、ご家族以外の多くの方々とのご縁があるはずです。そして、その方々と一緒に生きてきたからこそ、きっと豊かな人生がつくられたはずです。その一緒に生きてきた方々の「喪失の痛みや悲しみ」に行き場所を与えてあげることも、お葬式の大切な意義のはずだ、と私は思います。