ためになる!?ぶつだんやさんコラム
2021年3月30日
私たちは、かわいそうな学年なんかじゃない。
- お仏壇と墓石の太田屋
- 太田博久(代表取締役)
地域で仰せつかっている役目で、今年も地元小学校の卒業式に出席しました。
地域による感染状況の違いを無視した、政府の非科学的で理不尽な突然の「全国一斉休校」という措置を発端に、この1年、特に地方の学校現場は翻弄され続けてきました。小中学校のみならず、高校も大学も、その影響で通常の学校生活が送れない状態が長く続き、児童生徒や学生が心の変調をきたしたり、休学や退学等も増加し、社会問題になるほどです。
地元小学校では無言の給食、歌うことのできない音楽の授業、入学式も、運動会も、修学旅行も、ほぼすべての学校行事が例年のようには実施できませんでした。中でも、そんな1年しか過ごすことができなかった今年の卒業生は、本当に気の毒でかわいそうだ…そう同情していました。
その状況下でも、地元小中学校の現場では、先生たちが「子ども達の学びを止めてはならない」と苦労し、創意工夫し、様々な対応をしてこられた姿がありました。私は学校を支える地域の一員としての立場で、そんな先生と児童生徒が共に考え行動する様子に数多く接してきました。
中でも、すべての学校が長野県内での実施となった修学旅行は、楽しみにしていた東京方面への計画が取りやめになり、さぞ残念なことだろうと思っていましたが、実はかえって、より充実した内容ある修学旅行へとつながったと聞いています。中央アルプス千畳敷カールで信州の雄大な自然の素晴らしさに触れ、飯田市の水引で卒業式用のコラージュづくりを体験し地元特産品の魅力に触れ、阿智村の満蒙開拓平和記念館で信州の先人たちと戦争のつながりを学ぶ。結果的には、これまでの「旅行要素」の強い修学旅行よりも実のある学びが得られ、今後の修学旅行のあり方の大きな転換点になりそうだとも伺いました。
卒業証書授与の場面のBGMは、自分たちのピアノの生演奏でやってみたい。地元小学校では、卒業生が自ら校長先生にそう申し出て、5名の卒業生が交代で生演奏をする見事な式を実現しました。コロナ禍で通常の形の卒業式ができないからこそ、先生も児童も、少しでも工夫し記憶に残るよい卒業式にしたいとの強い願いがもたらした成果です。
「私たちは、かわいそうな学年なんかじゃない。」
この言葉は、卒業を控え、どんな卒業式を創り上げるのかを検討している最中に、子どもの口から発せられた言葉だそうです。卒業生の児童たちは、コロナ禍の影響に翻弄されながらも、その現実を受け止め、できることを精一杯考え、ひとつひとつ実現への努力を積み重ねることで、むしろ例年以上にたくましく、力強い成長を自らつかみ取っていました。その自信や誇り、自分自身の確かな成長の実感が、この言葉を生み出したのではないかと思います。
会食がない、外出が控えられている、価格への意識がシビアになっている…コロナ禍が葬祭業や供養業を営む当社の仕事に与えている影響は甚大です。それがいつまで続くのか、まったく予測がつきません。
「まだ続く前提で様々な取り組みをしましょう!」と私も社内で伝え続けていますが、正直なところ不安はつきません。「なんでこんな事態に…」「いつになったら変わるのか…」もう1年以上になりますので、そう愚痴りたくなる時もあります。しかし、同じコロナ禍に翻弄される現実の中で、大人ですら弱気になる時があるのに、「私たちは、かわいそうな学年なんかじゃない」と確かな自信を実感している12歳の児童がいるのです。その言葉に、ガツンと頭を殴られた気がします。
現実と向き合い切れていない自分、受け止めて変える勇気につなげられない自分、結果を気にして挑戦する行動を躊躇してしまう自分…そのままでいいんですか?と12歳の子どもに改めて教えられました。
地元の各学校の卒業式には毎年出席していますが、まだブカブカの真新しい中学校の制服に身を包んだ12歳の卒業生の姿が、これほど大きく見えたのは初めてでした。