ためになる!?ぶつだんやさんコラム

2020年11月9日

あれも?これも?仏教語?「億劫(おっくう)の巻」

  • お仏壇と墓石の太田屋
  • 太田博久(代表取締役)

ずいぶん前のことですが、テレビ番組でジブリの宮崎駿監督のドキュメンタリーが放送されました。徹底的にこだわって作品を創り上げる様子の一場面に、「めんどくせえ、めんどくせえ…」とつぶやきながら作画に取り組む姿がありました。その直後に宮崎監督が発した「世の中の大事なことって、大抵面倒くさいんだよな…」との言葉が、今も強烈に印象に残っています。

仏教用語に「億劫(おっくう)」という言葉があります。これは「気分がのらず面倒なこと」を意味し、私たちは日常的に「面倒くさい」とほぼ同義で使っているかと思います。※仏教用語として使用する際は「おっこう」と読むそうです。

この「億劫」の「劫(ごう)」は「極めて長い時間」を表し、「雑阿含経(ぞうあごんきょう)」にある「芥子劫(けしごう)」と「磐石劫(ばんじゃくごう)」に代表されるそうです。「芥子劫」とは、四方と高さが1由旬(ゆじゅん…約60キロとも)の鉄城に芥子(ケシ粒)が充満し、百年に一度、一粒ずつ持ち去って云々と…読み続けるのも面倒くさい、まさに億劫な、とにかく想像もつかない「途方もない長さの時間」ということのようです。もちろん「億劫」とまではいかないでしょうが、大昔の先人たちは寿命は短くても、きっと私たちよりもずっと長い時間感覚を身につけ、その実感を持ちながら生きていたのではないかと想像します。古代には未発達の道具しかなかったのに、なぜこんな建造物を創ることがことができたのか…と驚かされるのは、その手間暇をかけて何かに取り組み続け、育てることを厭わない長い時間感覚のなせる業なのかもしれません。

一方で、科学技術が急速に進歩している私たちの現代社会は、行為に費やす所要時間を少しでも短くすることに努めています。生きるのに必要な行為の手間をできるだけ省き、面倒を極力排除した便利さを追求することこそが「豊かさ」だと思い込んでいるとも言えます。しかし、その追求があらゆる分野にまで及んでしまうと、実は「大事なこと」までもが侵食され、「面倒で無駄なこと」として排除されていくのではないかと感じます。思いつくままに挙げれば、里山の手入れをはじめとする自然環境の保全や保護も、地域コミュニティも、民主主義も、教育も、そして弔い(葬送や供養)も…これまで先人たちが面倒だけれど必要な手間や時間をかけて育んできた事柄にまで、それを極力省くことが求められていることに、何やら大きな不安を覚えます。

「世の中の大事なことって、大抵面倒くさいんだよな…」という宮崎監督の言葉は、「億劫」という言葉を生んだ大昔の先人たちからの教訓でもあるような気がします。