ためになる!?ぶつだんやさんコラム

2020年9月15日

お別れの気持ち

  • お仏壇と墓石の太田屋
  • 太田博久(代表取締役)

今日は、20代の頃に仲良くさてもらった95歳のおばあちゃんのお参りに行きます。数日前に亡くなられ、家族葬だったためにお別れができなかったので…。人は皆、今生の別れが来る。おばあちゃんお疲れさまでした。ゆっくりお休みください。

先日、Twitterでこのような内容の投稿に接し、思わずリツートしました。なぜなら、この投稿をなさった方が若かりし頃に「おばあちゃん」と接した日々、その中で感じていたであろう温かな心の交流、そしてその記憶が、この方の人生の大切な一部になっている事実…決して正確であるはずはありませんが、そのようなイメージが私の心にグッと湧き上がり、お参りに行こうと促した気持ちとその関係性にすがすがしい感動を覚えたからです。

人は誰もが、時の流れと共に深く関わる方々を変えながら人生を過ごしていくものだと思います。私にも、今は疎遠になってしまっているけれど、思い返すと心がじわっと温かくなるご縁をいただいた方々がいます。

幼い頃、いつも可愛がってくれたくれたお隣のお姉ちゃん姉妹。そのお二人が父の葬儀にわざわざ弔問に来てくださり、数十年ぶりにお顔を拝見した時には、当時の笑顔が蘇り、感激で御礼の言葉が震えました。

大学受験の浪人時代に過ごした東京下高井戸の下宿。「長年下宿をしているけど、あなたほど頑張っている学生はいない」と励ましてくれたおばさんのお陰で、無事志望校に合格できました。結婚式にご招待したらとても喜んでくださったおばさん。年賀状のやり取りはしていたのですが、数年前に亡くなったことを後から知りました。

私に自宅で標本を見せてくださり、蝶好きへといざなった小学校の担任の先生や、音楽会の演奏曲でビートルズを教えてくれた新任の音楽の先生…。もう数十年が過ぎ、どこでどうお過ごしなのかもわかりません。これからもお会いする機会はないかもしれないけれど、もしもお目にかかることができたなら、自然と目頭が熱くなるでしょう。そして、その機会が訃報であったとしたら、私は是非お別れに伺い、ご遺族に対して「お世話になったお陰で、私は今こうして過ごすことができている」と御礼を申し上げ、そのようなご縁があったことを知っていただきたいと願います。

どなたにとっても、生きていく上で最も近い関係性にあるのがご家族なのは当然です。家族葬とは、その最も近しい方々でお葬式を営む形であり、決して否定すべきことではありません。ただ一方で、誰もがご家族との関係だけで生きているわけではないことも事実です。ご家族はご存じないかもしれないけれど、その人にとっては「かけがえのない」関係性が記憶に刻まれ、訃報に接した時には悲しみや痛みを抱え、「お別れをしたい」と願う人が確実に存在しています。その悲しみや痛みは、最も近しいご家族の悲しみや痛みと優劣や強弱を争う性質のものではないだろうと思います。

お葬式が必要以上に大規模で派手になり、高額になった時期があったことは事実です。その反動も含め、より小規模に簡素に、近親者を中心に営まれるようになっていることは、ある意味当然だと思います。それでも私は、自身で家族を送る経験もし、多くの方々の葬送や供養のお手伝いの経験も通して、ご縁のあった多くの方々の悲しみや痛みは、その「お別れをしたい」という願いは、故人の人生を形づくった確かな一部であり、大切なお気持ちだと思わずにはいられません。

もちろん、ご家庭によってご事情は様々でしょうが、コロナ禍によってご縁のあった方の訃報に接することすらできない状況がますます進む中で、「若い頃お世話になったおばあちゃんのお参りに」というTwitter投稿は、私の心に強く響きました。